腕時計を持っていました。とてもいい時計です。
時間はいつだって正確。
水に濡れたって大丈夫。
どんな衝撃にも強い。
だからスポーツをするときだって外さない。
防水だから海水浴でつけていたってへいっちゃら。
・・・と思っていたら、ベルトが弱ってきていて、海で遊んでいるうちに、いつの間にか無くなっていたよ。
今頃は海の底。。。
これはとても残念な話ですね。
さて、
今頃この時計は、海の中でどうなっているでしょうね。
どんな衝撃にも強いから、波にもまれても、海底の岩にぶつかっても壊れません。
完全防水だから、水も入ってきません。
一秒の狂いもなく、海の中で「只今の時刻〇時〇分〇秒!」と今もカチカチ時を刻んでいることでしょう。
でも、考えてみたいのです。
海の底に落ちたこの時計に、時を刻んでいる意味があるでしょうか?
ときどき魚が覗くことはあっても、魚は時計は読めませんからね。
この時計は、持ち主の腕にくっついて、持ち主と一緒に生きて、
「今は何時かな?」とご主人に時間を見てもらって、
初めて、時計として生きている意味が出てくるのではないでしょうか。
聖書の一番最初、創世記1:1にはこう書いてあります。
「初めに、神が天と地を創造した。」
また創世記1:27には
「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された」
と書いてあります。
私たちにも「持ち主」があると聖書は言います。
あなたの持ち主!
神様が私を、あなたを、お造りになりました。とハッキリ聖書は教えてくれているのです。
今生きているのは、ただの偶然ではないよ。
わたしがあなたを造ったのだよ。あなたはわたしのものだよ。と神様は語っておられます。
また伝道者の書12:1にはこうあります。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに。
また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」
この方を離れていても、カチカチ毎日動いて生きていくことはできます。
でも持ち主を離れていては、海の中の時計。
一生懸命だけど、真面目に時を刻んでいるけれど、海の中でひとりでいるのはとても寂しいことです。
「人は何のために生きているのだろう」
と考えることがあります。
「〇〇のため」
というよりも
「持ち主といる」「神様と生きる」これが安心。本来のいのちです。
人は元々、神様と向き合う存在、神様と親しく交わることができるものとして造られているからです。
神様はあなたと共に生きることを喜ばれるのです。
アウグスティヌスもこう言っています。
『あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。
ですからですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまでは、
安らぎを得ることができないのです。』
神のうちに憩う。
持ち主と一緒につながって生きれば、時計は 、海の底にひとりでいるときの空しい自分とは違って、
ご主人のために喜んで時を刻み始めるでしょう。
嬉しくてたまらない時計です。
聖書はまた「罪」について語っています。
あまり聞きたくないことかもしれませんが、「罪」は何も犯罪を犯したりすることばかりではありません。
本来は「的外れ」のことを言います。つまり神様からズレていること。
「神様から離れていること」「神様に背を向けて生きていること」「信じないで過ごしていること」を「罪」と言います。
だから、たとえ性格の素晴らしい人であっても、立派な働きをしている人であっても関係ないのです。
神様から離れた私たちは皆「罪人」
大切に大切にあなたのことを造ったのに、お尻を向けられ、無視をされ続けたら、神様は辛く悲しいでしょう。
だからといって、神様は、離れて行ってしまった私たちを海の底に捨て置きません。
尚も私たちを取り戻すために、大切なひとり子のイエス様をこの世に遣わしてくださいました。
それがクリスマスです。
クリスマスにお生まれになったイエス様は、人々を罪から救うために来られました。
神であられる方が、人となってこの地上に来てくださったのです。
この方はやがて十字架について死なれます。
何の罪も犯したことのないイエス様が、罪人の私の身代わりとなって死んでくださいました。
神様から離れた私が受けるはずだったいっさいの刑罰を、イエス様が代わってご自分の身に引き受けてくださったのです。
そしてよみがえられます。
神様はこうして、愛するひとり子をお与えになってまでして、失った私たちを取り戻そうとしておられるのです。
自分の力や努力では罪は決して消せません。
ただイエス様がいのちを懸けて罪から救ってくださったと信じて、神様の元に帰ること。
失くしていたこの私を見つけるやいなや、神様は大喜びして走り寄り、ぎゅっと抱きしめてくださることでしょう!
そして天の御使いたちに言うでしょう。「失くしたこの子見つけました!あなたがたも一緒に喜んでください!」
こうして天に喜びがわき起こるのです。
あなたもあなたの持ち主、神様に帰りませんか?
神様はあなたと一緒に生きたいのです。