クリスマスに布の絵本を作りました。文章はクリスマスの聖書のことばそのままです。

布絵は、鈴木悦郎さんの描かれた絵本「くりすます」(女子パウロ会)の挿絵を元絵とし、アップリケのようにしてフェルトで描きました。

                       (*許可をいただいて制作、掲載しております。無断転載はどうぞご遠慮くださいますようよろしくお願いいたします。)


↑ 動画版(聖書のことばそのままの字幕バージョン


↓ 静止画版

 

ところで、その6か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。

この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

しかし、マリヤはこのことばにひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

すると御使いが言った。「怖がることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。

ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」

そこでマリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

ご覧なさい。あなたの親類エリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう6か月です。

神にとって不可能なことは一つもありません。」

マリヤは言った。「ほんとうに私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去っていった。

(聖書 ルカの福音書1:26~38) 

 

 

 


 

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が皇帝アウグストから出た。

これは、クレ二オがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。

それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。

ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼はダビデの家系であり血筋でもあったので、

身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、

男子の初子を産んだ。それで布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

(聖書 ルカの福音書2:1~7)

 

 


 

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしてながら羊の群れを見守っていた。

すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

あなたがたは布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます、これが、あなたがたのためのしるしです。」

(聖書 ルカの福音書2:8~11)

 

 


 

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。

地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムへ行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」

(聖書 ルカの福音書2:13~15)

 

 


 

そして急いで行って、マリヤとヨセフと飼い葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。

それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。

それを聞いた人々はみな、羊飼いの話したことに驚いた。

しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

(聖書 ルカの福音書2:16~20)

 

 

 

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

(聖書 第一ヨハネ4:9~10)